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2016.06.03

神戸市立博物館で「我が名は鶴亭」を見る

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神戸市立博物館で「我が名は鶴亭―若冲、大雅も憧れた花鳥画(かっちょいいが)!?」(2016/4/9-5/29:1100円:写真上の高解像度版はこちら)を見た。神戸市立博物館は三ノ宮や元町から徒歩10分のところにある。場所は旧居留地。江戸末期に海外へ開港したときに外国人が住み、そのための建物が立った場所です。建物は横浜正金銀行神戸支店として建設されたものだそうです(写真下:高解像度版はこちら)。

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さて、鶴亭(かくてい)ですが、1722年に長崎で生まれ、1785年に江戸の下谷池之端で亡くなった絵師で黄檗宗の僧侶。20才のころ、長崎で、熊斐(ゆうひ)に南蘋風(なんぴんふう)花鳥画を学び、黄檗宗の僧侶としても修行。25-6才で還俗して大阪・京都で絵師として活躍し、江戸にも進出、30代から40代は大阪で絵師として人気を博す、といった方です。時代的には若冲や池大雅とかぶっていて、池大雅とは親交があったらしい。晩年は再度、黄檗宗の僧侶に戻り、絵も描きながら、住持にもなっている。まあ画僧という職業かも。

鶴亭の師匠となる熊斐は、中国人画家、沈南蘋(しんなんぴん)が長崎に来日したときに、唯一、絵の教えを受けた人で、鶴亭も南蘋風花鳥画を得意とする。この南蘋風花鳥画は若冲の「動植綵絵」のベースになるもので、大阪で活躍した鶴亭の影響を若冲が受けている可能性はかなり高い、とのことだ。実際、若冲と関係の深い木村蒹葭堂とも深く交友している。

まあ、そういう絵師なので、そこそこ面白いのではないかと、旅の途中で寄ってみたのですが、予想を超えて面白かったです。実際、鶴などの鳥の絵や鳥と花の組み合わせなどは精密かつ多彩で華やかなものでした。それだけでなく、水墨画もなかなか達者な感じです。筆の勢いで描いた作品から精密に描いた作品まで、幅広い作風を見せてくれます。そういった幅の広さは若冲に通じるところがあります。展示でも、同じテーマを描いた鶴亭作品と若冲作品を並べて見せてまして、この二人の向いている方向は同じだな、と感じました。ただ、若冲の方が金銭的にも時間的にも、より粘着的に執着して絵を描ける環境にいたんだろうな、とも思いましたが。

そういう意味では、若冲さんの絵がどのような歴史的な流れの中で、出来上がってきたのかが、おぼろげに見えてきた、というのも収穫かもしれません。若冲さんが、単独で、あの境地にたどり着いたわけではなく、沈南蘋の作品が長崎から鶴亭などの絵師を通じて、大阪・京都に拡散し、そこをベースに若冲の作品に結実する、というイメージが見えてきました。

それから、鶴亭が黄檗宗の僧侶であることや、若冲が晩年に黄檗宗の石峯寺の門前に住んでいて、墓も石峯寺にあること、などを見ていると、黄檗宗をベースにした美術の流れを見てみたい、という気になりました。

そして、実は、一番気になるのは、鶴亭が江戸で亡くなっていること。それも池之端で亡くなっている。鶴亭はかなりの頻度で旅にでていたことがうかがえるのだけど、鶴亭が所属していた黄檗宗という集団と、鶴亭のもう一つの顔である俳諧師という集団は、旅することと、どう関わってくるのか。この辺も気になる。


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