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2017.04.27

東京藝術大学大学美術館で「雪村 奇想の誕生」を見る

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東京藝術大学大学美術館で「雪村 奇想の誕生」(2017/3/28- 5/21:1600円)を見た。雪村単独の展覧会を見るのは2002年以来です。2002年に見たのは「雪村展 戦国時代のスーパー・エキセントリック」。千葉市美術館で開催された(その後、松濤美術館、山口県立美術館、福島県立美術館へ巡回)。おそらくは、このとき初めて雪村作品をまとめて見たのだけど、そのとき以来、雪村ファンです。

今回の雪村展は、作品の面では、2002年の展示と大きくは変わらない。龍の頭に乗った「呂洞賓図」(大和文華館が所蔵)、鯉のヒゲを手綱のようにつかんで鯉にまたがる「琴高仙人・群仙図」(京都国立博物館が所蔵)、風に吹かれて軽々と浮遊する「列子御風図」(アルカンシエール美術財団が所蔵)といった作品は今回も拝見できる。ただし雪村作品の数という点では、2002年の方が多かった。図録を見る限り、2002年の展示では134点、2017年は94点です。というわけで前回ほどは、雪村の作品点数は多くないです。まあ点数が多ければいい、というわけでもないけど。

今回、2017年の展示の特徴は、雪村の影響を受けた作家の作品を数多く展示している、というところかと思います。特に尾形光琳については、コーナーを作って、光琳の描いた布袋の絵を見せたりしてます。確かに光琳の布袋は、雪村の布袋に似ている。そして、光琳の紅白梅図屏風の元になったのでは?といわれている「欠伸布袋・紅白梅図」(茨城県立博物館が所蔵)も展示されてます。この絵は左右に梅の絵、真ん中にあくびをする布袋という、よく分からない構成ですが、言われてみれば、紅白梅図の発想の元かもしれない。図録によると、欠伸布袋・紅白梅図は光琳が江戸にいたころに、ある大名が所有していて江戸にあったそうで、光琳が見ている可能性は高いらしい。

展示替えがあるので、もう一度、見に行こうかと思います。ちなみに、滋賀県のMIHO MUSEUMに、巡回する(2017/8/1~ 9/3)そうなので、興味のある方はぜひ、というところかと。

ところで、この展示のキャッチというかコピーとなっている「『ゆきむら』ではなく『せっそん』です」はどうなんだろう、という感じ。まあ、そうなんだけど、ほかにないの? というか、いらないなあと思います。それから、ついでに気にいらないのが、ミュージアムショップで、クレジットカードが使えないこと。いい加減にしてほしい。

追記
大きな展示替えが4月25日にあって、そこそこ入れ替わっていたので、再度、見に行きました。各地の美術館や博物館から借りてきているし、会場の広さの面でも、しょうがないのだろうけど、前期に見たら割引にするとか、もう少し考えていただきたい。まあ、それでも大きな鯉にまたがった「琴高仙人・群仙図」とか、根津美術館所蔵の「龍虎図屏風」(5/7まで)が拝見できたので、いいんじゃないでしょうか。


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2017.04.22

上野の森美術館で「VOCA展2017」を見る

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上野の森美術館で「VOCA展2017 現代美術の展望─新しい平面の作家たち」(2017/3/11-3/30:600円)を見た。VOCAはThe Vision of Contemporary Artの略。平面作品(といってある壁面から20cm以内の厚さは許されている)の新人賞なんだけど、「全国の美術館学芸員、ジャーナリスト、研究者などに40才以下の若手作家の推薦を依頼し、その作家が平面作品の新作を出品するという方式により、全国各地から未知の優れた才能を紹介していきます」というユニークな方式の賞です。今年で24年目。第1回(1994年)の受賞者には福田美蘭がいるし、出展した作家には大竹 伸朗、丸山 直文がいたりする。第2回の受賞者には大岩 オスカール幸男がいる。というわけで、今となってはそこそこメジャーな作家が受賞していたり、受賞しないまでも出展していたりするので、このところ、できるだけ見るようにしています。

まあ、受賞した方々の作品や評論はWebにあるので、特に気になった作家をメモっておきます。


抽象画では浅野有紀と国松希根太(http://www.kinetakunimatsu.com/)、村上華子(https://www.hanakomurakami.net/)。

浅野有紀は日本画の手法で抽象表現に取り組んでいる。解説によると、絹に墨と藍で「うつろいゆく光や大気のゆらぎ」を描いている、とのこと。雲なのか霧なのか、不定形なぼやっとしたものが描かれている。作家がリアルに目で見た様子を描いているのだけど、作品を見る側からは、抽象的な表現に思える、というのが面白い。

国松希根太の作品は木の板に描いたもの。板に刻まれた年輪による縞模様から、地平線や水平線などの自然の風景をあぶり出し、描いている。板の地肌から想起できる風景を描いているのだけど、存在しない風景が抽象的な表現に見えてくるのが、面白い。

村上華子の作品を見たとき、何なのか理解できなかった。「オートクローム」という20世紀の初頭に流行した写真の方式に使う感光板を使った作品とのことだ。1920年に製造された感光板を入手して、撮影せずに現像したもの。この現像結果が感光板の状態で大きく違っているらしい。そこに100年近い時間の重みがあって、何かが写っている、というのがなんとも不思議。

鈴木基真は彫刻家だそうだが、今回の作品は写真。制作した立体作品を撮影したもの。撮影した画像を巨大なスライドにして、ライトボックスのうえに置いている。立体作品は、アメリカの郊外にある一軒家の入口。おそらくは木造で、階段があり、ポーチがあって、ガラスがはめ込まれた扉がある。そして夜景で、入口の扉に灯りがともっている。解説によると、粘土で制作したものらしい。手の跡が、かなり効果的でいい味を出している。

田島大介の作品は、ケント紙にマンガに使われる証券用インクを用いて丸ペンで描かれている。だから素材はマンガと同じ。ただしサイズは縦112.2×横194.1cmと大きい。そこに高層ビルと看板と屋根と足場とクレーンが入り乱れている状態をペンで描いている。大友克洋的に緻密な、目をそらすことができなくなりそうな作品です。

照沼敦朗(http://www.terunuma-atsuro.com/terunuma_atsuro-Official_HP/top.html)の作品は絵の中にディスプレイを埋め入れて、映像を流している。かなり異様な作品。作者は生まれつき視力が低いそうだ。その作者の分身キャラクター「ミエテルノゾム」が見える/見えないをテーマに作品の中でさまざまなかたちで登場している。タイトルは「ミエテルノゾムの夢製造伝奇」。

Nerholは「グラフィックデザイナーの田中義久と、彫刻家の飯田竜太によるアーティスト・デュオ」とのこと。作品は写真と彫刻を合体させたようなもので、写真でも彫刻でもない。まあ立体作品ではある。「3分間にわたって連続撮影した200枚のポートレートを撮影順に積み重ね、カッターで切り取り起伏を付けていく」というもの。下の写真は初台のオペラシティアートギャラリーで先日拝見した「片山正通的百科全書」(2017/4/8-6/25)で撮影したNerholの作品(この展示では撮影は一部を除いて許可されていた)。VOCAには一人の男性の写真を使った作品が6点並んでいて、おそらくは元となる写真のかたまりは、同じだが、カットの仕方が違っているように見える。カットの違いで表情が違うのが面白い。

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矢野祐貴の作品「かみくり」は日本列島における天地創造となる、イザナギの尊とイザナミの尊が杖で撹拌しているところを描いているらしい。中央にイザナギの尊とイザナミの尊を配置し、その周りは、ミケランジェロによるシスティナ礼拝堂の天井にあがかれた「最後の審判」が雲となって描かれている。この雲が妙にもこもこしていて、立体的で面白い。どうやらウレタン樹脂を使っている模様。


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2017.04.09

三菱一号館美術館で「オルセーのナビ派展:美の預言者たち ―ささやきとざわめき」を見る

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三菱一号館美術館で「オルセーのナビ派展:美の預言者たち ―ささやきとざわめき」(2017/2/4-5/21:1700円)を見た。ナビ派とは「19世紀末パリ、ゴーガンの美学から影響を受け、自らを新たな美の「ナビ(ヘブライ語で"預言者"の意味)」と称した前衛的な若き芸術家グループ。平面性・装飾性を重視した画面構成により、20世紀美術を予兆する革新的な芸術活動を行った」とのこと。ポスト印象派として次の美術表現を模索したグループということらしい。

ナビ派のモーリス・ドニ、ピエール・ボナール、フェリックス・ヴァンロットンあたりは作品を見たことがあるのだけど、共通点が分からなかった。つまりこの展覧会を見るまでは、ナビ派の意味を理解してなかったのですが、ようやく全体像が見えてきました。というわけで、ナビ派というものを理解してみたいなら、一見の価値はあると思われます。

規模は「オルセー美術館が誇るナビ派のコレクションから、油彩約70点、素描約10点など合わせておよそ80点が一堂に会します」とのこと。会期中に展示替えもないのもありがたいです。

この展覧会でナビ派について、わかったことは
・ゴーガン(ゴーギャンとは発音しないらしい)の影響が大きい
・そのためか象徴主義の傾向が強い。
・日常を描くにも、映画的なというか、演劇的な画面構成を目指す
・流行に敏感。だからジャポニズムは取り入れている
といったところか。まあ、そこそこ適当です。

カタログは珍しく電子版もある。電子版は2200円です。例えばKindle版はこちら。iTunes、honto、koboで販売中。紙の方は2400円。

そのほか、オリジナルグッズも揃ってます。なかでもiPhone用のカバーが面白かった。下の写真のように、裏に貼るクッションタイプのもの。発色はなかなかいい。ちなみにヴァロットンの「ボール」という作品の部分です。

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2017.04.02

東京ステーションギャラリーで「パロディ、二重の声 ――日本の一九七〇年代前後左右」を見る

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東京ステーションギャラリーで「パロディ、二重の声 ――日本の一九七〇年代前後左右」(2017/2/18-4/16:900円)を見た。「1960年代中頃から日本のアーティストが頻繁に実践し、70年代に入るとテレビや雑誌などを通じて社会的に流行した「パロディ」。ありとあらゆる文化がパロディに染まったこの現象は、モダンとポストモダンの隙間に開花した徒花(あだばな)であったのか? 日本語として定着し、それでいてなお不明瞭なこのパロディという技術または形式を、当時の視覚文化を通じて振り返ります」という趣旨の展覧会。上の巨大なポスターはギャラリーの入口にある、まあ、象徴的な作品と言うことでしょう。横尾忠則の「POPでTOPを!」。亀倉雄策による東京オリンピックのポスターをパロディしたもの。

まあ、改めて1970年代はパロディの時代だったのだな、と思い出させる展示でした。

でも、展示スペースに入ると、まず目に入るのはレオ・ヤマガタ(山縣旭)による大量にある「モナ・リザ」的な作品。「歴史上100人の巨匠が描くモナ・リザ」というシリーズ。こういう作品があるを初めて知ったのだけど、ほとんどが2016年の作品で、どうして1970年代と関係あるのか不明でしたが、作品は面白い。

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図録によると、作者のレオ・ヤマガタは1978年にPARCOとビックリハウスが主催した第2回JPC展(日本パロディ展)でパルコ賞を受賞した、ということで、特別出展した、としている。一応、1970年代に作家活動していたから、ということらしい。

東京ステーションギャラリーは3階と2階に展示スペースがあり、順路は3階までエレベーターで上がって、2階に階段でおりるようになっている。今回の展示では、ざっくりと3階が1960年代の現代美術系で、2階が1070年代の漫画や雑誌といった構成になっていた。1960年代に美術系のマイナーかつ過激なところから始まった“パロディ”作品が、1970年代には、大衆化が進み「ビックリハウス」などの雑誌が登場するにまでなった、といった感じ。

というわけで3階には赤瀬川源平、篠原有司男、吉村益信、横尾忠則などの作品が並んでいる。横尾忠則作品は撮影不可でしたが、ほかは撮影可でした。下の写真は陶芸家の八木一夫の作品「ニュートンの耳」と、後ろにあるのが鈴木慶則の「非在のタブロー 梱包されたオダリスク」。

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こちらは吉村益信の「豚:PigLib」。よくわかりませんが、1994年の作品。図録の解説によると「フランスのグラフィックデザイナー、レイモン・サヴィニャックによるハム缶詰ポスター(1930)のパロディ」らしい。作品タイトルはウーマン・リブのもじりらしい。

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ちなみにレイモン・サヴィニャックによるハム缶詰ポスターは下の作品。

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一方、2階ではビックリハウスの表紙が並んでいたり、河北秀也による営団地下鉄のマナーポスターなどが並んでいました。


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展示の最後では、伊丹十三が制作したテレビ番組「伊丹十三のアートレポート」から「質屋にて」を上映してました。これは初めてみましたが、1976年の作品ということで、伊丹十三43才の作品。薄く色のついたサングラスをかけた伊丹十三さんはかなり胡散臭い感じです。中身は、質屋にアンディ・ウォーホルの「マリリン・モンロー」をもっていって30万円借りたいと交渉する、というもの。質屋の爺さんとのやり取りがなかなかで、複製と芸術という現代美術における大きなテーマを扱っている。ちゃんと落ちもあるので、楽しめます。

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図録は購入しました。2000円です。『ビックリハウス』初代編集長・萩原朔美インタビューとか「パロディ裁判」判例集とかが掲載されていて、充実してます。

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