カテゴリー「art」の記事

2018.02.18

森美術館で「レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル」を見る

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六本木ヒルズの森美術館で「レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル」(2017/11/18- 2018/4/1:1800円)を見た。レアンドロ・エルリッヒの作品といえば、金沢21世紀美術館に設置された“恒久展示作品”「スイミングプール」が印象的です。ちなみにスイミングプールは下の写真のように、金沢21世紀美術館の真ん中に設置されています。

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このゾーンには無料で入れるので、プールをのぞき込むだけなら、タダです。のぞき込むと水中に人がいる。それも服をきたままのように見えて、酸素ボンベをしょっていないのに、特に苦しそうでもない。

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種明かしとしては、有料ゾーンからこのプールの中に入ると分かるようになってます。つまり、プールの底は透明になっていて、浅く、水が入っているのほんの少し、というワケなんです。

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今回の展示は「エルリッヒの四半世紀にわたる活動の全容を紹介する、世界でも過去最大規模の個展です。新作を含む44点の作品を紹介し、その8割が日本初公開となります」とのこと。44点といっても、半分はちいさな模型で、実際にリアルに楽しめるのは15点です。まあ、それでも十分以上に楽しめました。写真撮影がOKでしたので、以下、気に入った作品を紹介します。

最初の作品は「反射する港」で、下の写真です。そこそこ暗闇の空間に船が浮かんでいるというもの。最初は明らかに水に浮かんでいるように見えたのですが、慣れてくると、そうでもないことに気がつきます。少なくとも水は張っていない。船が水に浮かんで反射しているように見える部分もリアルな立体物として作られている、という作品。

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こちらは「教室」という作品。ほぼ廃墟と化した教室らしき場所に、亡霊のように、人が現る作品です。ガラスで仕切られた部屋の中で、ガラスの向こう側に「廃墟」があって、これを見に来た観客が半透明にガラスに映り込んで、亡霊のように見える、というもの。

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タイトルは「試着室」(写真下)。鏡を組み合わせて、迷路のようになっています。ただし、ほとんどが鏡ではなく、実際にある部屋なんですが、うまく作られていて、かなり混乱させられます。

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パンフレットの写真にも使われている「建物」という作品。目の前にあって、人がいっぱいぶら下がっているように見えるのは、実は鏡で、実態は床に敷かれた建物に観客が座ったり寝転がったりしている、という作品。

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下の写真は「建物」の模型です。

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さて、この展覧会で作品以外にユニークだったのは、動画もOKとしたところ。条件があって1分以内に限ってます。最近のスマホにしてもデジカメにしても、動画撮影機能は普通に備えているし、静止画はOKだけど動画は禁止とするのは無理がある。禁止しても、チェックする側からすれば、動画撮影か静止画撮影かは外見だけでは区別が付かない。まあ、妥当な条件だと思います。

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2018.02.12

国立新美術館で「シェル美術賞展2017」を見る

国立新美術館で「シェル美術賞展2017」(2017/12/13-12/25:400円)を見た。2014年の受賞作品から見ているので、4年連続、拝見していることになる(2016年の受賞作品についてはこちら)。ちなみに今回が第46回です。シェル美術賞は「次世代を担う若手作家のための美術賞であり、創設当初より完全な公募制で実施しています」というモノです。応募資格は「日本在住、40歳以下の方」。つまり、推薦人がいなくても、日本在住の40歳以下なら、我こそは!と思ったら応募できるわけです。その辺が面白いところ。

そのためか、未知の作家の作品が多い。まあそういった見たことない作品が拝見できる、というのは面白いことです。完全に見たことがない作品から、見たことがあるようで、ちょっと違いモノまで、そこそこいろいろありました。

シェル美術賞展は、写真撮影がOKなので、印象に残った作品は撮影していたので、以下に紹介いたします。

まず、久世なつかの《ひるね (からだ × ハチ 1)》。丸いおなかが印象的ですが、よく見ると変で、虫が飛んでいる。そして耳の辺りでまとまって大量にいる。しばし考えて、タイトルとか作家のコメントを読むと、飛んでいるのは蜂で、それは「大量のミツバチ(働きバチ)は子育てに追われる母親、あるいはその願望として登場します」とのこと。あんまり納得しないけど、まあ、しょうがないか、という感じ。ただ妙に柔らかいタッチに母の優しさを想起してしまう。そう思うのは岩絵具ベースで和紙に描かれているから、かもしれない。

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次が竹内優文の《浴場》。リアルさがいいんですが、そのモチーフの選び方が面白い。改めて見ると、老人らしき人の頭と背中とか足とかが見えている。作家のコメントで「『ヒト』の営みの産物や痕跡の、早晩失われるその風景を、現代の記録と思って描き留めています」とあって、失われていくのは銭湯なのか、そこに通う老人なのか、とちょっと考えてしまう。

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3つ目が上野洋嗣の《temple》。コメントに「模型を作って写真に写し、パソコンで加工してキャンバスに描き起こした」とある。そうか写真か、という気がした。こういう描き方もある、というわけで、より強く印象に残りました。

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4つ目で最後です。酒井崇の《伏せ茶碗 (蠢く何か)》。この作品は、不気味な感じにひかれました。ドローイングなので、すべての線を作家がコツコツと描いてわけで、そこもより不気味な感じ。

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なんとなく、戯画的な作品が増えている、ように見えました。

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2018.02.02

東京ステーションギャラリーで「コレクションのドア、ひらきます」を見る

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東京ステーションギャラリーで「コレクションのドア、ひらきます」(2017/12/16~2018/2/12:900円)を見た。東京ステーションギャラリーは名前の通り、東京駅の建物の中にある美術館。あまり知られていない作家の個展を開いたり、そこそこ有名なんだけど、あまり個展が開かれていない作家の個展を開いていて、例えば昨年の「不染鉄展」とかは知らない作家の展示でしたが、とても興味深いものでした。2015年の「没後30年 鴨居玲展 踊り候え」も、部分的にしか知らなかった鴨居令の作品のほぼ全貌を知ることができて、楽しかった。展示のスペースとしても、比較的高めの天井と、煉瓦の壁とかがいい雰囲気です。

しかし、ここは、どちらかというとギャラリー、つまり展示専門かと思っていたのですが、そこそこ立派なコレクションを持っていて、今回はそのコレクションを公開する展示会でした。撮影がほぼOKでしたので、気に入った作品を掲載しておきます。

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まず、東京駅をテーマにした作品。一つ目が相笠昌義の《東京駅風景・冬》、1993年の作品。相笠昌義の作品は初台の東京オペラシティアートギャラリーの寺田コレクションに含まれていて、初台ではときどき見るんですが、東京駅を描いていたとはね。独特のくすんだ色調とか暗い感じが気に入ってます。作品をまとめて見たい作家の一人ですね。

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こちらは本城直季の《new tokyo station》。2012年の作品。東京駅の改築後に東京ステーションギャラリーの依頼で撮影した作品とのこと。

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元田久治の《Indication - Tokyo Station - 》。2007年の作品。和紙にリトグラフだそうです。作品は、誰もが知っている建物や町並みが、人類が滅亡して廃墟になったら、どうなるかを想像して描かれたもの。かなり物騒で、美しい。ちなみにIndicationは気配とか徴候とかいう意味です。

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諏訪敦の《新宿からの富士》。2001年の作品。諏訪さんの作品は人物が中心ですが、こういった風景画もあるのね。珍しいと思います。しかし、人物画と同じように細密で繊細です。新宿の都庁からの眺めらしい。

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三瀬夏之介の《エディプスの子》。2011年の作品。東日本大震災のあとに、東北の山をイメージして描かれた作品、とのこと。大きいです。272×360cm。

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森村泰昌の《自画像としての「私」(メデューサ)》。2011年の作品。元ネタはカラヴァッジョの《メデューサ》。こういうのもコレクションするんだな、という作品。

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渡部満の《富士をめでる由希子》。2001年の作品。めったに作品を見ることが出来ない作家です。たぶん、ここでしか見たことがない気がする。「世界の古典的名画のなかに自らの娘を幼いままの姿で描き込む」のがこの家作家のスタイルらしい。

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展示替えがあるらしいので、もう1回は見に行きたいと思います。


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2018.01.08

東京都庭園美術館で「装飾は流転する 『今』と向きあう7つの方法」を見る

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東京都庭園美術館で「装飾は流転する 『今』と向きあう7つの方法」(2017/11/18-2018/2/25:1100円)を見た。庭園美術館は本館(旧朝香宮邸)エレベーター設置工事のため、約半年間休館していた。まあ2017年の夏は閉館していたわけです。休館開けの美術展が「装飾は流転する」。美術において装飾とは何か、というかなり根本的な問いに対して、「装飾は流転する」と答えた感じですが、ちょっと分かりにくい。むしろ「Decoration never dies,anyway」という英語のタイトルの方がぐっとくる。

装飾美術というと、あるいは作品について装飾的というと、どうも純粋芸術的な立場から一歩引いたよう見えることがあるらしい。図録に、本展に参加しているアーティスト全員が装飾に対するそれぞれの立場とか、装飾的であると言われることへの感想を寄稿しているのだけど、装飾に対して世間は否定的だけど、そうは思わない、というテキストが並んでいる。まあ、展覧会の主旨にあった人選なんでしょう。一方で、装飾というモノは上っ面で、表層的で、本質ではないと世間一般は思っている、とも思っているようだ。確かにミニマルな作品の存在意義は装飾を省いた本質を示すという面もあるんだろう。でも個人的には、装飾しないことが装飾であるように見えてしまう。

ここでは、装飾というのは、純粋芸術に対立する概念でもないし、機能主義とも対立するモノではない、という立場をとっている。そんな立場を示すには、アールデコという装飾美術をちりばめた庭園美術館はふさわしい場所だろう。ちなみに出展する作家で、見たことがあって、名前を覚えているのは高田安規子・政子 だけで、そういう意味でも楽しみな展覧会でした。撮影可だったので、気に入った作品の写真を掲載しておきます。

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上の写真は、ヴィム・デルヴォワ(Wim Delvoye https://wimdelvoye.be/)の《ノーチラス》。ステンレス製です。とても精密で、解説によると「ゴシック建築の装飾がオウムガイの形に歪められている」モノらしい。

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同じくヴィム・デルヴォワの《二つの尾てい骨》。大理石です。

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山縣良和(http://www.writtenafterwards.com/)の作品は熊手とかぬいぐるみとかを組み合わせた作品。タイトルは《七服神》。ファッションデザイナーらしい作品。まあ、ほとんどインスタレーションですね。

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赤いコートの一群は山縣の《インバネスコート》。


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髙田安規子・政子(http://amtakada.com)は一卵性双生児のユニット。その作品は小さくて美しく、そして意表を突く。上の写真は、軽石を削って作ったローマの《凱旋門》。下の写真は《豆本の山》、さらにその下は《カットグラス》。解説によると「切子細工のガラス器に見えるが、実はゴム製の吸盤にカッティングを施したもの」とのこと。

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2017.12.18

竹橋の国立近代美術館で「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」を見る

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竹橋の国立近代美術館で「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」(2017/12/1-2018/3/21:1400円)を見た。熊谷守一はよく分からない画家です。以前はオレンジ色の枠線を使って、色数は少ないけど、印象的な組み合わせで作品を描くひと、というイメージでした。あるいは文化勲章を辞退した仙人のような方。

しかし昨年、2016年に国立新美術館で開催された「はじまり、美の饗宴展 すばらしき大原美術館コレクション」(2016年1月20日~4月4日)で拝見した熊谷守一の「陽が死んだ日」で、その印象は破綻した。同じ作家の作品とは思えなかったのだ。「陽が死んだ日」は数えで4歳の次男、陽の死顔を描いた1928年の作品。タッチは荒々しく、色彩はあふれかえっていて、死に対する激情がたたきつけられている。この作品と晩年のオレンジ色の枠線を使った作品群を単純に結ぶことができない。まあ、その謎が解けるかもしれない、とこの美術展を見に行きました。

守一は1880年(明治13年)に生まれた。1900年に東京美術学校(現東京藝大)に入学。同級生には青木繁がいる、とのこと。1902年に父、1910年に母が亡くなり、故郷の岐阜県に戻っているが、5年後、1915年(大正4年)に再度上京している。この時期の絵は暗い。「暗闇で対象がどのように見えるか」というテーマで描いているそうだ。

赤い輪郭線が現れるのは、1940年前後で、主に風景画に現れてくる。1950年には人物画にも現るようになる。カタログの解説によると、マティスやピカソ、ナビ派の影響がある、とのこと。実際、1940年当たりから、輪郭線の中は同じ色で塗られるようになる。色を整理して、より効果的な色使いを目指しているように見える。1950年代以降は、手法は固定していくのだけど、描く対象は、より身近なものになる、といったところです。

謎も解けたので、すっきりした展覧会でした。

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2017.12.10

埼玉県立近代美術館で「ディエゴ・リベラの時代」を見る

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埼玉県立近代美術館で「ディエゴ・リベラの時代」(2017/10/21-12/10:1200円)を見た。ディエゴ・リベラは1886年生まれのメキシコの画家。1957年に亡くなっている。メキシコで民族色の強い壁画を描いた美術家、というイメージです。奥さんがフリーダ・カーロで、ドロドロの愛憎劇を繰り広げていたりする。まあ、メキシコ絵画の世界の英雄なんでしょう。でもディエゴ・リベラといえば壁画なので、壁画を持ってくるわけにもいかんでしょうから、どういった展覧会なのだろうか、と疑問を抱えながら北浦和まで行ってみました。

「メキシコ国立芸術院(INBA)との共同企画によるこの展覧会では、初期から晩年にいたるリベラの画業を油彩画、素描、版画など約30点の作品でたどります。また、リベラの師でありメキシコ近代絵画を拓いたべラスコ、同時代のメキシコの様々な美術動向、リベラと関わりのあったレオナール・フジタや北川民次ら日本人画家も紹介し、メキシコの近代美術が掲げた夢を振り返ります」とのことです。壁画は当然来てなかったけど、映像資料で紹介されておりました。

全体としては、リベラの初期の絵や、リベラに関わった人達の作品で、リベラという美術家の全貌を見せるだけでなく、その時代のメキシコ美術の雰囲気が伝わってくる展示でした。

面白かったのは、リベラの初期の作品。パリに渡って、ピカソなどとの交流から、キュビズムの作品を残しています。これがなかなか板についていて、完成度が高い。しかし、後の壁画にどのように関わってくるのか、一端抽象的な作風を完成させてから、壁画の具象表現に戻っていくところが、面白いところです。抽象と具象を行き来するのは、割といろんな美術家にある傾向のようにも思えるのですが…。

もう一つ、興味深いのが、リベラと藤田嗣治との関係です。リベラがパリに滞在したころ、1914年に藤田と交流があった、とのことで、その後、リベラがメキシコに戻って壁画を描くようになってから、1932年に藤田がメキシコに訪問しています。このときはリベラがニューヨークに壁画を描きにいっていたため、会うことはなかったのですが、それなりの影響は受けていたんじゃないかと思います。まあ、勝手な憶測ですが、藤田が《秋田の行事》という壁画を描いたのは1937年だそうで、リベラの巨大な壁画を見て、その影響が多少はあるんじゃないかと思うわけです。

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2017.12.05

草間彌生美術館で「草間彌生美術館開館記念展 創造は孤高の営みだ、愛こそはまさに芸術への近づき」を見る

草間彌生美術館で「草間彌生美術館開館記念展 創造は孤高の営みだ、愛こそはまさに芸術への近づき」(2017/10/1-2018/2/25:1000円)を見た。名前の通り「前衛芸術家」草間彌生の美術館です。美術館のパンフレットには「草間作品および関係資料の展示を通じて草間芸術の発展に寄与することを目的に2017年に開館」とある。

入場は日時指定の予約制です。予約なしに行っても入館できません。予約はWeb経由です。あっという間に埋まるので要注意。ちなみに、私が2017年12月に行ったときは2017年10月1日に予約してます。開館は木・金・土・日曜で、月・火・水はお休み。入場時間は1日4回あって1回90分で入れ替えとなります。1回の入場者数は当初50人でしたが、70人に増えています。50人で見た感じですと、かなり余裕があります。30分程度でほぼ全部見終わると思います。70人でも90分をフルに使って見るのであれば、全く問題ないと思われます。

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場所は建物は上の写真のようにわりと細長いビル。地上5階地下1階です。白い建物で、1階の入口はガラス張りで、白い水玉模様が描かれています(写真下)。1階は受付で、2階と3階がメインのギャラリー。4階はさらに部屋があって、その中で2分間入れ替えで見る展示がある。5階は半分が関連資料のある資料室で半分が天井のない屋外ギャラリーとなっている。各階の移動は階段とエレベーター。階段は上り専用。写真撮影は4階と5階はOKでした。

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ちなみに、入口前のコンクリート打ちっぱなしな感じのところで入場を待ちます。中に入って待つことはできなようです。まあ、天気が良ければ気にならないけど、冬場は寒いね。

今回の展示は、色鮮やかなアクリル絵具で描いた《わが永遠の魂》というシリーズ、制作年が2009~2017年の作品16点と、シリーズ《愛はとこしえ》という2007年制作のモノクロのドローイング27点、そして鏡の部屋に、黄色の地に黒い水玉があるカボチャを並べたインスタレーション、カボチャの立体作品というラインナップです。

割と良かったのが、4階にあるカボチャのインスタレーションです。扉のある暗い部屋の中に入って2分間、拝見するもので、一端完全に暗くなり、徐々に明るくなっていきます。この徐々に明るくなる感じがよろしい。

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Web経由で予約しないといけないのですが、1000円だし、うまく見れば、ほぼ独占的に鑑賞できたりするので、なかなかいいシステムだと思います。半年ごとに展示を変えるそうなので、また行ってみたいと思っております。

蛇足ですが、ミュージアムショップというか1階の売り場では、巨大なカボチャのがま口が売られていて、ちょっと気になりました。4万5000円です。

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これも蛇足ですが、草間美術館の道路の向かい辺りに和算の天才、関孝和のお墓があったり、裏手の方に新宿区立漱石山房記念館があったりして、興味深いところです。

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2017.11.29

千葉市美術館で「没後70年 北野恒富展」を見る

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千葉市美術館で「没後70年 北野恒富展」(2017/11/3- 12/17:1200円)を見た。北野恒富は1880年に金沢に生まれ、大阪で活躍した画家。1947年に67歳に亡くなっている。展覧会の説明では「東京の鏑木清方、京都の上村松園と並ぶ、大阪を代表する美人画家として活躍を続けました」としている。鏑木清方と上村松園の個展を見たが、北野恒富の個展を見たことはなかった。断片的に、いくつか代表作を見てきただけで、なかなか全体像がわからないままでした。そういうわけで、今回の展覧会はかなり期待してました。そして、うれしいことに、ほぼ期待通りのものでした。

北野恒富は日本画で一貫して美人画を描いているのだけど、前期と後期で作風ががらりと変わっているように見えた。北野恒富の作品で見た覚えがあるのが、前期の代表作、大正2年(1913年)に描いた2曲1双の屏風絵「道行」と後期の代表作、昭和11年(1936年)に描いた2曲1双の屏風絵「いとさんこいさん」。

「道行」は近松門左衛門の「心中天の綱島」をテーマにした作品で、カタログによると「遊女小春と紙屋治兵衛の死出の旅が象徴的に描かれている」。屏風には男女2人と、からすが金地の上に3羽描かれていて、黒と金の色彩の対比が印象深く、退廃的で死の臭いが漂っている。

一方、「いとさんこいさん」はどろどろしたものがなく、色調も明るい。おそらくは十代のお嬢さんが2人、談笑しているところを描いている。カタログの解説によると「本作は、谷崎潤一郎作『細雪』と共通する世界観があることがしばしば指摘されてきた」としている。

つまり明治末から大正期は「画壇の悪魔派」と呼ばれ、退廃的で妖艶な女性を描き、昭和期はモダンですっきりとした、「はんなり」した作風に変化している。この中間にあるのが大正の後半で、今回の展示では第2章「深化する内面表現」で展示されている。特に「淀君」という大阪城の落城直前の淀君を描いた作品がもの凄く、ぞっとする。作風も日本画的になっていく。悪魔派から「はんなり」に時間をかけて移行していくのが見えてくる。

今回の展示では、恒富のもう一つの顔である、グラフィックデザイナー的な面についても、展示している。ほとんどが美人画を中心にしたポスターで、ビールとか日本酒、和服の宣伝です。このなかで、森村泰昌が恒富の作品を再現した高島屋のポスターも展示されているのが興味深いところ。

カタログには森村泰昌の、同じ大阪で美術家として生きた、北野恒富についてのエッセイも掲載されている。小出楢重と谷崎潤一郎、北野恒富について、論じているのですが、これもなかなか面白い。谷崎の小説の挿絵を小出も恒富も描いていて、この3人は縁が深いようだ。森村は細雪を取り上げながら、谷崎、小出、恒富がいた大阪の雰囲気を説いているのですが、大阪に縁の無い私にはあまりよく分からない。分からないけど、細雪を読めば、少しはその世界に近づけそうな気がする。というわけで、細雪を読んでみようかと思う今日この頃です。ちなみに千葉市美術館の展示は展示替えがあるので、後半もいってみようかと思います。

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2017.11.22

国立西洋美術館で「北斎とジャポニズム」を見る

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上野の国立西洋美術館で「北斎とジャポニスム―HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」(2017/10/21-2018/1/28:1600円)を見た。「西洋近代芸術の展開を“北斎とジャポニスム”という観点から編み直す、日本発・世界初の展覧会です。国内外の美術館や個人コレクターが所蔵するモネ、ドガ、セザンヌ、ゴーガンをふくめた西洋の名作約220点と、北斎の錦絵約40点、版本約70点の計約110点を比較しながら展示します」とのこと。

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そこそこよく知られていること、例えば上の看板のように、北斎漫画にある相撲取りとドガの踊り子のポーズは似ていて、北斎漫画を見たドガが取り入れたとか、陶器やガラス工芸の図案に北斎の植物画や昆虫、鳥などのモチーフが使われているとか、その辺をより多くの作品を使って見せてくれるのかしらと思っていたら、ほかにも風景、特に富嶽三十六景の神奈川沖浪裏の波や、富嶽三十六景そのものもの影響も展示されていて、なかなか面白かった。

風景の影響のところで、興味深いのが、主体となる山の前に林や竹林を置いて、山を隠すというか、隙間から山が見えるような描き方は、北斎作品が西欧にわたるまではなかった、というあたりです。モネの作品で、手前に林がある状態でその先の風景を描いたものがあるのだけど、モネが北斎の作品で竹林の向こうに富士山がある作品を持っていたことから、そこから着想を得た、としています。

まあ、なかには強引な感じのする部分もありましたが、割と説得力のある展示だったと思います。
 


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2017.11.19

Bunkamura ザ・ミュージアムで「オットー・ネーベル展」を見る

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渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで「オットー・ネーベル展」(2017/10/7-12/17:1500円)を見た。オットー・ネーベルはスイスで活躍したドイツ出身の画家。1892年に生まれ、1973年に亡くなっている。「1920年代半ばにはワイマールに滞在し、バウハウスでワリシー・カンディンスキーやパウル・クレーと出会い、長きにわたって友情を育みました」とのこと。日本初の回顧展だそうだ。回顧展というのは「作家の全生涯における作品や活動を総覧する展覧会」です。カンディンスキーやクレーが好きなので、見てみることにしました。

最初はクレーの亜流かな、とも思いましたが、そんのこともない。クレーとは違ったアプローチで、クレーと同じような対象を描いている作品があるので、一瞬、亜流かも、という気になったのかもしれない。単純な形を扱っているのに描線の書き込みが激しいというか細密なのだ。

そして色彩の探求がクレーより分析的に見える。特に「カラーアトラス」という考え方が面白い。カタログによると「1931年10月、ローマに到着したネーベルは南国の強い光の下で色彩の輝きに開眼し、訪れた各都市の色彩、光、響き、ニュアンスの詳細な記録にとりかかった」とある。訪問した土地で見た風景から色を抽出して、正方形で表し、より印象深いものは大きく描くというもので、スケッチブックの1枚に1都市、作成しているようだ。そして、その色彩のスケッチから絵画を構想し、描いていく。さて、ネーベルが東京とか京都を訪れたならば、どんなカラーアトラスを作成したんだろうか?

まあ、展示としては、クレーやカンディンスキー、シャガールの作品も、関連作品として拝見できるのがうれしい。

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